小野寺浩二はめがねっ娘布教に役立つのか?

そんな訳で小野寺浩二の話。
ちゅーか「聖乙女学園血風録」が打ち切られた哀しみと「キミとボクとの∞」を読んだからー。


取り敢えず「キミとボクの∞」は,眼鏡っ娘布教には何の役にも立たなかっただろうなと(苦笑)
ちゅーかねー?そういう耐性のない4コマ漫画読者にイキナリあんなの見せたらドン引きだよなぁ…
いやまーその情熱だけは伝わるとは思うのだが…
冷静に読むと小野寺浩二の駄目なところは,その暴走っぷりなのだろうな。
最大の長所が最大の短所なのだ。


眼鏡大好き漫画家と言えば数多い?が,小野寺浩二だけは何かこー異質なのよね。
あまりにもその想いが,はち切れ過ぎるのか妄想なんだか暴走なんだかよくわからない(苦笑)
ちゅーか穿った眼で読むとネタにしているだけとしか。
いやまーネタにしてるんだけど。


ちゅーか萌えと燃えを天秤にかけたら燃えが優先してしまうみたいな。
小野寺浩二の地が熱血なのでしょうか?やっぱ熱い勢いで描く方がノリノリなのよね。
「聖乙女学園地血風録」は百合物を熱血に描くとどうなるか?という視点で描かれていて面白いのだが百合物的には受け入れられなかった…
やはりそれ本来を望む者からすると異質な作家になるのでしょう。


西川魯介の漫画を思い出してもらいたい。
氏の漫画は眼鏡っ娘大好きなのは分かるが,読者に眼鏡っ娘を好きになれとは押し付けてないのだ。
自分の想いは主張はしているのだが,それを読者に強要させてはいないのだ!!
小野寺浩二の場合は強引なのだ。
本人は直球,しかも剛速球を放っているつもりだろうが,それは読者からしたら大暴投なのだ。
もっと自然に眼鏡っ娘の魅力を問わなければならないのに,ストライクゾーンに入らないのでギャグにしかなってないのだ。
…ってギャグ作家だけどなー(苦笑)


結論としては,小野寺浩二の作品は眼鏡っ娘布教の為にはならないだろう…
だがしかし!そんな小野寺浩二が大好きー!!
漫画家は自分の主張したい事で大暴走してなんぼやでー!!